あすなこ白書

日本のドラマっておもしろい!

大荒れだった『あなたがしてくれなくても』の最終回に、わりと納得している

フジテレビ木曜22時『あなたがしてくれなくても』が、先週幕を閉じた。これまで視聴者をくぎ付けにしてきたドラマの最終回、Twitterは大いに荒れていた。桂三枝がソファーからずっこけていた画像がめちゃくちゃRTされていたのを見ると、多くの人にとっては「納得しない」「期待外れの」最終回だったのかもしれない。

かくいう私は、あのラストにわりと納得していた。むしろ明日放送の特別編で「余計なことをしないでほしい」と、この一週間願いつづけてきたくらいだ。なんで私はガックリしなかったんだろう。TLで「???」が浮かんでいた最終回の不可解なシーンについて、私の見解を書いてみる。

 

 

▼なぜ楓はみちを飲みに誘ったのか

育児雑誌の編集長になった楓管理職になったみちは、偶然にも再会する。みちは足早に通りすぎようとするものの、楓の「逃げるな、泥棒猫」で引き戻され、真っ昼間から酒を交わすはめに。

ここで「なぜ楓はみちを飲みに誘ったのか」という最初の疑問が出てくるが、私は結構“あり得る状況”だと思う。泥沼騒動から一年。楓も新しい生活に慣れ、さらに元夫とみちの間になにもないと聞けば、イラつきと共に、ちょっとした好奇心が芽生えたのかもしれない。怖いもの見たさの好奇心。楓はサレ側なのでみちに思いっきりぶつけられるし、ぶつける権利がある。

しかしそこで起こったのは、第二の修羅場ではなく、大好きな男に愛されなかった女たちによる痛み分けだ。みちには後輩、楓にも編集長という吐き出し所はあったけど、当事者ではなかった。新名さんとは悩みを共有できたけど、同性ではなかった。被害者と加害者でありながら、当事者で同性同士。あの瞬間、サレ妻とシタ妻は本当の意味での“戦友”となったのである。

 

▼蛙化しかけた新名さんの奇行

ちょっと話は逸れるが、私が大好きなドラマの一つに『お耳にあいましたら』という作品がありまして。口下手な主人公がトークの練習にPodcastを始める物語であり、大人の青春物語でもある。毎日一緒にいた同期3人が、ラストは別々の場所に行く。朝方の帰り道、主人公と同期の女子一人が、こんなやり取りをする。

 

「もう会えないわけじゃないから」

「でも、もう一緒に何かをやれない」

「佐々木もいてくれて、そういう季節だったんだと思う」

 

この場面が美しすぎて、ときどきふと思い出す。気づけば急にブワッと暑くなって、なんとなぁく涼しくなるみたいに、一瞬燃え上がっては次第に大人しくなっていく現象は、人間関係にも起こり得るよなと。『あなたがしてくれなくても』はまさに、その曖昧なグラデーションを描いていたように思うのだ。

 

さて、最終回で視聴者がどよめいたのが、これまで人気だった(?)新名さんの奇行だ。まさに“蛙化現象”。辞書で蛙化現象の項目を作る暁には、【2】最終回の新名さんと書こうと思う。

新名さんを起点とすると、陽一に対しては“加害者”でしかない。しかし、最終回の新名さんはなぜか陽一の店を訪れ、みちが一人で寂しい思いをしているんじゃないかと攻めの姿勢で話し出すのだ。(ちなみに私は、新名さんのこういうウェットなところが恋に破れた所以じゃないかと思っている)

さらに、昼間に同僚がコイントスをしていたのを見かけた(それもどういう状況?)新名さんは、同じように陽一へコイントス勝負を持ちかける(ナンデ?!)そこで表を的中させた新名さんは、別れた妻・楓越しに、みちへの思いを語り始めるのだ(ナンデ?!!!)

……という感じで、勝手に再び告白して勝手に身を引いて「負け惜しみかもしれないけど、幸せになって」と一人で完結させ、おもしろいことに陽一に「どうぞ」と順番をふるんだけど。その真意としては、彼はとっくの昔に「みちが新名さんを選ばないこと」に気づいていたと思うのだ。

時間軸は同じく泥沼不倫劇から一年後。新名さんが泣き崩れた水族館から、約一年後の話である。みちと新名さんの関係性自体は無くならなかったものの、その意味合いは大きく変わっていた。男女の関係から完全に“戦友”になっていたのだ。

二人だけでご飯を食べても、会社を辞めたのに縁が続いていても、陽一と別れても、もうどうにもならないのだと、それこそ“季節”が過ぎてしまったことに、新名さんは気づいていたのだろう。なぜならば、彼自身が同じような理由で楓から離れたから。相手がどんなに頑張っても気持ちには応えられないと、わかっていたからだ。

そんな新名さんは、みちの願いを叶えるために奔走する。一人の戦友として。自分から話を切り出すことで、陽一の心を揺さぶることが出来ると思っていたのだろう。新名さんがロマンチストなことを踏まえると、一連の流れは奇妙ではあるが、整合性は取れていた気がする。なんだかフリースタイルラップみたいな口説き方だったけど。


▼賛否両論むしろ否否否だらけのラストシーン

フリースタイル口説きの後、陽一のもとへ“忘れ物”を取りに帰ったみち。陽一はぶっきらぼうに、照れ隠しのように(ここの瑛太上手だった)、「みち好きだよ」と伝える。土砂降りの夜から一転、シーンは晴れの真っ昼間へと移り、荷物を一緒に持つみちと陽一の後ろ姿で幕を閉じた。おそらく今作の評価がひっくり返ったのは、特にこのラストが原因だと思う。

感想ツイを検索すると、「新名さんとくっついてほしかった」(ほんんんんんんまに?!!!)や「他人の家庭を壊しといて自分は元サヤなのか」という意見が見受けられた。後者は頷けるものの、新名家の場合、どっちにしろ別れていたような気がする。

さて、私はこのラストをどうみたかというと、特になにも思わなかった。もしかしたらあの夜の数ヶ月後、数年後かもしれないし、みちが願う姿なのかもしれない。「こうだったら良かったのにね」という今作なりの理想の夫婦像なのかもしれない。まあ、どれでも良かった。でも、冒頭に二ヶ月後という表記をしていた今作があえて時期を明記していなかったので、直接的な未来ではないのかなとは思った。

なぜ気にならなかったのかというと、これは私が「怪物」や「ペンディングトレイン」のラストが特に気にならなかった件と同じなんだけども、みちと陽ちゃん夫婦の行く末が、今作の主題ではないと感じていたからだ。

じゃあなにが今作の主題なんだよときかれたら難しいが、とにかく、みちと陽ちゃんの関係性をハッキリさせることではなかったと思っている。強いていうなら、「君は一人で歩けない」と陽一からも新名さんからも自分自身でも思っていたみちが、自分だけで歩けるようになる過程だろうか。しかし陽一と一緒にいる時点で成立しないと思う人もいるかもしれないが、あれだけ陽一との関係に振り回されて受け身だった彼女が、自分の仕事を軸に暮らしているという時点で、これまでよりも成長したといえるんじゃないだろうか。

 

というわけで、個人的な評価は「とにかく上手い作品」に終わった。Twitterで全部書いたと思っていたが、意外と話したいことがあったんだな。まあ、どんなに言葉を重ねても、楓の「いつまで心のセックスしてるつもり?」以上に、今作を表す言葉は出てこないだろうけど。