あすなこ白書

日本のドラマっておもしろい!

私が戦うべき人は、目の前にいるあなたではない(ドラマ『対岸の家事』感想)

2025年も折り返し地点になった。「6月」という響きにはまだしっくりきていないが、終盤に差し掛かった春ドラマを眺めていると、もうすぐ夏がやってくるんだなと思う。今年の春ドラマは良い作品が多かった。11年振りに幕があいた『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)がなんといっても最高!千明(小泉今日子)たちの物語のつづきをリアルタイムで楽しめる喜びを毎週噛みしめている。『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)も良かった。薬膳生活を勧める上質なグルメドラマだと思っていたが、最終話を迎えてみると、「思うようにたちゆかなくなってしまった人たちによる自己再生の物語」だったたことに気づく。飯島奈美さん監修のお料理には毎週食欲を刺激された。あと、『わたサバ2』がめちゃくちゃ面白いです。

そんな春ドラマの中で、TBS火曜22時枠『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』が初回からずっとおもしろい。多部未華子演じる専業主婦・詩穂が、ワーママや育休中のエリートパパなど、立場も境遇も異なる“対岸にいる人”たちと出会い、ときにはぶつかりながら、それぞれの生き方や悩みに触れてゆくヒューマンドラマだ。原作は、2019年にドラマ化された『わたし、定時で帰ります。』の著者・朱野帰子による同名小説。働く独身女性と専業主婦、対極にいる存在をどちらも丁寧にすくい上げる朱野先生の絶妙なバランス感覚よ……!

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『対岸の家事』は、専業主婦の詩穂が、世に蔓延るあらゆる対立構造をなくそうと奮闘するドラマだと思う。ふと考えてみれば、世の中はどこもかしこも対立ばかりだ。「専業主婦とワーママ」「既婚と独身」「男と女」「持つ者と持たざる者」――どうして私たちは、いとも簡単に“こちら側”と“あちら側”に分かれてしまうのだろう。そんなことを考えていたドラマの第八話。育休取得中のパパ・中谷さん(おディーン様)が、夫・虎朗(一ノ瀬ワタル)と喧嘩をした詩穂に、こんな言葉をかける。

「虎朗さんは店長でもあり、管理職でもある。家の中ではただ一人の稼ぎ手。もしいつか自分が倒れたら……という重圧をいつも感じているでしょう。もちろん詩穂さんにも苺ちゃんを育てるというプレッシャーがある。ですが、その辛さは互いには分かり合えない。 だって、お互いに経験していない。知らないんですから

そう、私たちは互いのすべてを知らない。経験していないのだから、相手のすべてを汲み取るなんて、本来は不可能だ。けれど日々の忙しなさや世知辛さに追われるうちに、そんな当たり前のことさえ忘れてしまい、いつの間にか、私たちは既存の対立構造にズブズブと足を絡め取られているのではないだろうか。

そもそも「このドラマすげえ……」と最初に思ったのは、志穂とワーママ・礼子(江口のりこ)の出会いを描いた第一話だ。子育て支援センターで孤立していた志穂に、礼子が気を遣って声をかける。「村上さんはもう決まった?」「え?」「ウチはやっと決まってさ、ほっとしたよ」「ああ、夕飯?献立の話ですか?わかります、悩みますよね。毎日のことだし」「違うって、保育園よ保育園」専業主婦とワーママ、立場の違いがふとした拍子に顔を出し、空気が次第にピリつきはじめる。その緊張状態はなんと2年もつづくのだが、思い詰めた表情で屋上にいた礼子を志穂が助けたことで、二人は“真のママ友”になるのだ。

専業主婦とワーママの対立ネタなんてごまんとあるだろう。なんならその軸で連ドラが一本作れたかもしれない。けれど『対岸の家事』はそうしなかった。志穂と礼子が第一話早々に手を取り合ったのは、ここで二人が対立することに意味がないからだ。むしろ、二人が手を取り合い、この厳しい現実をともに乗り越えてゆかねばならない。戦う相手はもっと先にいることを『対岸の家事』は示している。

このエピソードで、自分が会社に勤めていたときのことを思い出した。私は一年前に会社をやめた。当時は「ドラマウォッチャーの仕事に専念するためですか?」とよく聞かれたものだが、シンプルに会社がイヤでやめた(ドラマの仕事はください)。リファラルで採用された会社が悲劇的なことに合わなかっのだ。ちなみに紹介してくれた友人は私より先にやめたので、まあ、そういう会社なんだと思う。

だが、そんな会社の中にも、ご飯に行ったり飲みに行ったり仲良くしてくれる人はいた。その人は私と同世代で、小学生の息子さんを育てるワーママだ。おそらく働かなくても生活できるんだろうけど、働きたい気持ちが強かったのだと思う。友人がいなくなったクソッタレな会社の中で、唯一会話ができる貴重な存在だった。

けれど、部の中枢を担っていた友人が抜け、その代わりに彼女が管理職ポジションになった頃から、私たちは飲みに行かなくなった。あんまり話さなくなった。いったい会社のなにがイヤだったのか。その理由は山のようにあるんだけど、決定打は労働環境が大きく変わったことだ。もともと週3出社&週2在宅のハイブリッド勤務が、ある日を境に毎日出社することになった。コロナ禍を経て日常が戻ってきたいま、それは仕方がないと思うんだけど、毎朝8時出社なのがほんとうにイヤだった。というか、ハイブリッド勤務の時は9時出社だったのになぜ……?別に早朝に出社しないとやれない仕事ではない。その裏側にはおじさん幹部たちからの「社員に忠誠を誓わせたい」というエゴイズムだけが垣間見えたのだ。

マネージャーになった彼女は、その決定を我々一般社員に伝える際に「子どもがいるなど特別な事情がある人は午後出社が可能です」といった。その言葉はきっと、おじさん幹部から彼女に伝えられ、そのままの言葉を我々に伝えただけだろうが、子持ちである彼女から発せられたその文言はだいぶグロテスクな響きに聞こえた。あらゆる理由で子どもを諦めた人や子どもを持たない選択をした人が聞いたらどう思うんだろう……というか、なぜ元気な独身が毎朝8時出社をせねばならない!!???(本音)その翌日からいよいよ地獄の8時出社は始まったのだが、彼女は週の半分くらい、育児を理由に午後から出社していた。部内で午後出社をしていたのは彼女だけだった。

そのとき、まさに私は『対岸の家事』に登場する礼子さんの部下で独身の今井くん(松本怜生)のように「子どもがいるとか知らんくね……?」「午後出社の理由はほんまに子どもなんか」「じゃあペットを飼っている独身のことは考えてくれるんか(私は飼ってないけど)」と思ってしまったのである。ひとつ言っておくと、私は小さなお子さんを置いて、彼女に意味のない8時出社を毎日してほしかったわけじゃない。会社と育児の両立がどれだけ難しいかは彼女とよく話していたから知ってる。ただ、彼女がこの体制に疑問を抱かず、それを受けいれていることが、どうにも不思議だったのだ。しかも結局のところ、午後出社した彼女はMTGに追われ、誰にも任せられない仕事を夜遅くまでやっていることも多かった。

結局、彼女とは会社を辞めてから疎遠になった。けれど、一管理職である彼女に、多く求めすぎていたんじゃないかといまは思う。少なくとも、私が憎むべきは彼女じゃなかった。もっともっと、その先にいたのだ。でも当時の私は、おじさんたちが仕立て上げた「ワーママvs独身」の構造にすっかりハマってしまった。

「結婚してるかしてないかで、何で女はこんなにいがみ合わなきゃいけないんだろうね。子どものころはさ、みんな同じただの女の子だったのにね」――これは、2012年に放送された『最後から二番目の恋』のセリフだが、2025年のいま、時を経てなおのことウッと刺さっている(そして10年以上前にこんなセリフをさらっと書いた岡田惠和マジすごい)あのとき、私なりに彼女にできたことが何かあったんじゃないかと、いまもときどき考えてしまう。

『対岸の家事』は、そんな異なる立場や状況にいる人たちの気持ちを、丁寧に隅々まで言語化してくれる“現代らしい”ドラマだ。ドラマの主人公みたいに、他人の事情に踏み込んでバッググラウンドを聞き、ましてやその人をエンパワメントできるような時間も、労力も、余裕もない。だから私たちには、物語がある。疎遠になってしまった彼女も、忙しない日常のどこかでこの作品を目にしているといいな。きっと『対岸の家事』のようなドラマが、世の中を変えてくれるのだと、私はそう信じている。